患者様の施術経過
チック症・トゥレット症候群患者様
チック症・トゥレット症候群患者様
チック症・トゥレット症候群患者様の施術経過
チック症・トゥレット症候群患者様
現在令和 (5年6月) 20歳女性、他府県在住
チック症、トゥレット症候群で悩み、苦しんでおられた方の現在までの施術経過をご説明させて頂きます。
チック症状は小学生3年生の頃から出始め、首振りや音声チックが少しある程度で病院に受診し薬を処方されましたが経過観察となりました。
中学2年の夏頃から周囲の目を気にするようになり学校に行くのが嫌になり、症状は酷くはないが変わらず音声チック、運動チックは出ていました。
高校受験も何とか乗り越え高校に入学できましたが勉強と部活の両立ができず、人間関係で苦しむ日々が続き、高校1年の秋に部活を辞めました。
高校2年になってからは音声チック、汚言症、運動チックは強く出始め、友人や家族から症状を指摘されるようになり、段々と学校に行くのが苦痛でクラスに入ることもできなくなってしまいました。そうして学校も休む事が増えていました。
集団生活で上手く対応できない苦痛、不安傾向「私には勉強ができない」、「自分の考えている言葉や文章がまとめられない、自己表現ができない」その他に、うつ症状、強迫症状、会食恐怖症(学校での食事、人前で食事することに強い恐怖を感じる症状)が見られた。人前に出ることを恐れる日が増え、同時に病院で処方される薬も増えました。
頭に浮かぶ嫌な事やマイナス思考「自分はバカだ、頭がおかしい、死にたい、」落ち込む日々が続き音声チック (奇声) が強く激しくでる事もありました。汚言症(死ね、殺す、卑猥な言葉)もその頃から出始めました。
これは頭に浮かんだ言葉や思ってもいない言葉が勝手に出る症状です。
高校2年の終わり頃から鍼灸施術を開始しましたが特に大きな変化はなく、高校3年生には音声チック、運動チック、汚言症がさらに激しく、通学中や授業中も症状は強く出て別教室や保健室にいる時間が増えました。
鍼灸施術がコロナ禍のため行けず、1年間空いてしまい、その間症状は悪くなる一方でした。
令和4年3月で高校を卒業することはできましたが、外に出る勇気がでず、家に引きこもる日が続きました。
≪令和4年、5月≫
症状が強くなるにつれ、不安で自分に対する自信もなくなり、人と会う事を避けていたところ、当院に相談をされ出張施術をする事が決まりました。
≪5月18日 出張施術≫
6時間の施術中は音声が常に出て止まることがなく、最後まで音声チック、汚言症がありました。「しんどい」「死にたい」「私は死ぬ」「もー嫌だ」等、汚言症に混ざって本心も言葉に出ていたと思います。
また「私の辛さは自分にしかわからない、私のしんどさはあなたたちにはわからない」と言われたのを今でも覚えています。
出張施術以外で当院に来院し施術を受けるように説得をし、出張施術が終わる日に、当院のある大阪まで一緒に来る事を決断されました。
人が多い飛行機を涙を流しながらも頑張って耐え大阪まで来ることができました。
自宅が遠いので、またすぐに飛行機を乗らないといけないので一泊や二泊で施術を受けるのは嫌だとのことで、長い期間大阪に来て、長期連続型施術を受ける事にしました。
≪5月19日〜6月11日1回目長期連続施術≫
初めて、一人で自宅を離れ大阪に来て毎日他の患者さんやスタッフに会うのは苦痛でしたが、家に引きこもっている今の自分を変えたいと思う一心で挑戦をしました。
施術を受けて1週間が過ぎましたが、変化はなく、1日中音声チックや汚言症、奇声が激しく出ることが続きました。
そうした中でも症状が落ち着いている日もあり、自分で症状を抑えようとできる日とできない日があったとのことです。
本人の感覚では症状を抑える事ができない日が多かったです。
患者様の予約が多い日などは特に症状は激しく、施術場所の2階から1階まで響き渡る声で汚言症が出ていました。
「この頃は不安でいっぱいだった。同じ病気の人にも自分の症状を見られるのが嫌だった。」
「自分の症状に対して、ほんとに良くなるのかが不安しかなかった。3週間の治療の中で辛い、逃げたい、家に帰りたいと何度も思った。」とのことでした。
「今回の連続施術で何か1つでも自信をつけ家に帰って欲しい」、「過去の自分とは違う何かを持って欲しい」と当院では思い1日の終わりに「ふりかえりミーティン」」をして変化を探そうとしましたが「こんなの意味がない、私はダメな人間だ」と言うことの繰り返しでした。
2週間が経ち
症状に対して何も考えないようにしていたのですがミーティングを重ねるにつれ少しだけ症状に向き合おうとしてくれるようになりました。
症状が強く出る時と症状が出ない時の本人の行動や心境と周囲の状況にどんな違いがあるのか、その時にどんなことを感じたり考えたりしたのかをメモしてもらいました。それらのメモをもとにミーティングで症状への対応について話し合いしました。治療院内だけでなく外出時の症状の出方の変化についても確認しようとしましたが、なかなか外出する気持ちになれなかったため、室内での確認になりました。
症状が出る時は、同じ部屋に他の人がいる時で、症状 (音声、汚言) を他の人に聞かれたくないと思うと余計に症状が強く出る事が分かりました。
目を瞑る、音楽を聴く、歌うなどをして、視覚的情報を減らせれば、症状が少し落ち着く日がありました。
といっても強く出る症状が少しだけマシになる程度であって、今回の長期連続型施術での成果としては大きな変化は得られませんでした。
お母さんに迎えに来ていただき2人で帰りました。飛行機の中でも強く症状 (音声、汚言) が出て、泣きながら家に帰ることになったようです。
≪1回目の長期連続型施術を終えてから≫
帰宅後1週間ぐらいは、前より少し前向きにやりたい事や出来る事を考えたが、時間が経つにつれ症状の変化がない自分に自信をなくし否定的な感情が目立つようになりました。
≪7月27日〜8月19日2回目の長期連続型施術≫
今回も出張施術をしてから一緒に大阪に来ました。
前回も今回も、飛行機の中では会話をする間は音声チックが止まり、話が終わると同時に症状が出るような感じでした。出張施術中も会話中は音声チックは止まり、終わると症状が出ていたためそのことは本人には告げず飛行機内では会話を終わらせないように話し続けました。前回の飛行機に比べて症状が少し落ち着いていた気がすると本人が言っていました。
大阪についてから1日目は身体を休めるため自由な時間を過ごし2日目から施術を開始しました。
他の患者様が少ない時は症状も落ち着いていました。音声チック、汚言症も少ない印象です。
でも、1日の中でスイッチが入ったかのように症状が出る時がありました。前ほど長時間続くことはなかったのですが、それでも2時間程、奇声、汚言を発する事がありました。1回目の施術時は1日中続く音声チックもありましたが今回はすぐにおさまりました。
1日のふりかえり、ミーティングでは
前回に来た時よりも症状も気持ちも落ち着いていると話していました。1日の中で症状の強い波が2回来ると本人も私たちも感じました。
1回目は強く2回目は少し弱く、持続時間も2回目は1回目より短くなっている感覚でした。
チック症状以外では
考えている事がまとまらない、理解や記憶が曖昧になる等、悩むことも多く、薬の副作用で常にボーとする感覚もありました。
頓服薬は症状が比較的落ち着いている日は薬をなるべく飲むのを減らし、出かける際は飲むというように処方されています。
抗精神薬は、薬の影響で睡魔に襲われることがあり、薬を飲んだとしても症状 (音声チック、汚言症、運動チック) は強く出る日もあります。
薬で抑えることはできても効果が切れてしまえばさらに強く症状(音声チック、汚言症、運動チック)がでます。
そうなると薬の量も増えてしまいます。
その説明を本人にしても頓服薬を飲まないと落ち着かない、様子でした。
もともと不眠症で睡眠導入剤も出ていましたので、寝不足の日が続くとさらに症状も悪化していました。
いつもより症状が出ていると思う日は睡眠時間が2時間や3時間しか寝ていないと言っていました。
このように施術期間中は症状の出方に波がある状態でしたが、最終日に長期連続型施術1回目と2回目の違いと成果はある?の質問に対して本人は施術期間の中で症状が強くでている回数や持続時間の悪い波、症状の回数が少なく短い持続時間の良い波の割合を答えてくれました。
1回目が悪い波7割、良い波3割
2回目が悪い波2割、良い波8割
1回目と2回目の効果に差がはっきり出て少し自信がついたと本人も言っていました。
今回の施術期間中も症状も出ていたが、ずっと出ている状態ではなく、本人も気が楽そうでした。また外に買い物に行くなど、一回目の長期連続型施術より外出も増えました。
≪10月18日〜11月13日3回目の長期連続型施術。≫
18日〜19日は出張施術、2日間自宅で施術をしました。
5月に初めて出張施術に行った時に比べると、施術中は静かで会話中の音声チックが少なく、家の中では比較的症状は落ち着いている状態でした。
施術後は車で外出しましたが車に乗っているからか症状は少しだけ出た程度で、家の中と変わらない状態でした。
大阪までの機中では、搭乗までの間は症状が強く出たが飛行機に乗ってしばらくすると落ち着き、本人も「今までの飛行機の中で症状が1番落ち着いていた」と言っていました。
当院に着いてからも症状は落ちついており、静かな時間が多く他の患者様が多い日でも、時おり大きい音声チックはありましたがすぐにおさまり、音声チック、汚言症が出ている時間は1時間ぐらいでおさまっていました。
同じ症状で悩んでいる患者様と話す時間もあって、「症状が出た時、何を意識して止めようとしていますか?」などの質問をし合ってお互いの苦労を共有することもできました。
スーパーへ買い物にも積極的に出ようとするなど自分なりに症状と向き合い、やりたい事、できる事をゆっくり少しずつ挑戦していくようにもなりました。
時々、落ち込む事もありましたがそのたびに施術者に励まされ泣きながらも自分を変えようと努力して施術をうけていました。
「今回の施術が終わって家に帰ったらバイトを始めてみよう」と発言できるまで成長しました。
3回目の長期連続型施術を終了し、前回までお母さんが迎えに来られて一緒に飛行機で帰っていましたが、本人1人で帰ることを決断され症状が出ながらも1人で帰る事ができました。飛行機に搭乗するまでずっと電話で話して症状をなるべく抑えるようと、自分で考えた症状を抑える方法を全部試して人に見られても気にしないように努力されました。
そのようにして無事に帰ることができましたが頑張った分、疲労もあり次の日はゆっくり身体を休める事にしたそうです。
帰宅されてから週3回でアルバイトを始めたと報告をいただきました。
≪令和5年2月〜≫
アルバイトは続けていましたが、働く日は症状が強くでて、仕事にも集中する事もできず、早上がりや、休む事も多くなり週に3回が週1回になってしまい、最初の頃のマイナス発言(症状を聞かれたくない、私はできない、死にたい、外に出たくない)や落ち込む性格に戻っていました。症状は家にいる時は以前と変わらず調子はいいようでしたが、仕事になると周りの目線や症状がでている自分を気にしてしまい落ち込み、そのことでさらに症状が悪化している様子でした。
出張施術も2月に1回と3月に1回行きましたが初診の五月頃の会話中の落ち込み度やマイナス発言の汚言症が目立っていました。
しかし症状の持続時間は短い間で落ち着いていました。
「症状が多い日、夜は寝られず、不安思考が頭に残り、目を瞑って寝ようとするといろいろな考えが出てきて頭がパニックを起こしてしまう」と表現していました。
≪令和5年3月20日〜4月6日4回目の長期連続型施術≫
症状は前と変わりがなく調子はいい方だと感じるが、本人の施術に対するモチベーションは低く、「私はこのままでいい、治らない、」たった一時間の悪い時やマイナス点のみに着目を置き、あたかも全体が悪いと捉えていました。その度に励まし、マイナス点だけではないと何度も話しましたがまた自信をなくしていました。
話をしていても「薬の影響」や「私は理解力が低い」など、その場から逃げ会話を終わらせようと「私はできない」、「意味がない」と初診時の時と同じ考え方になっていました。
ミーティングした時のメモを見返しながら何度も話し、励まし理解できるまで時間をかけ、物を使ってわかりやすく、同じ事を繰り返し、次の日には復習して考え方を変えていけるようにしました。
「苦手と言うだけで挑戦することすらもしない」「諦めていた事もできるように」と話す時間を増やし少しでも前向きな気持ちで帰ってもらえるように。
今回の施術期間は前回より短いが濃い話ができたと思います。帰ってからは「先生怖いなど」
お母さんに言っていたようです。
≪令和5年4月〜現在≫
7月は週3回のアルバイトが短い時間ではあるが毎日 (平日週5回) アルバイトに行けるようになり、夢の一つでもあった東京ディズニーランドに家族と親戚で宿泊し行く事ができました。お母様からのLINEで「丸2日閉園まで遊びまくりましたと、2日目が終わって疲労もあり症状は出ましたが、こんな長い時間と外食は久しぶりでした。自信に繋がってどんどん外に出ていければと思います。」
病院で処方されている薬の量も少しずつ減ってきているそうです。
本人からも二十歳の誕生日を迎え、「外にたくさん出かける一年にしたいともっと良くなる気がする」と意気込みをくれました。
♦ご参考に施術を受けられた時間数を記載します。
♦令和4年5月からの当院で施術時間数です。
令和4年
5月75時間
6月69時間
7月32時間
8月118時間
10月76時間
11月79時間
令和5年
3月56時間
4月30時間