患者様の施術経過
チック症・トゥレット症候群患者様
チック症・トゥレット症候群患者様
チック症・トゥレット症候群患者の当院での施術経過
チック症・トゥレット症候群患者様
newチック症、トゥレット症候群・強迫性障害 (対人恐怖症) 患者様
チック症、トゥレット症候群・強迫性障害(対人恐怖症)で悩み、苦しんでおられた方の施術から現在までのご説明をさせて頂きます。
令和5年9月現在22歳 (大阪在住)
〈施術開始まで〉
6歳の頃から他人の視線が気になり「他人からの評価」・「他人に不快な思いをさせていたら」と常に気にしていました。中学3年生には「目が左右に行き来すること」や「目付きが怖い」とよく友達から指摘を受けていました。そういう事に自分では自覚がなく、チック症による症状だとは思いませんでした。
18歳 (高校3年生) の頃、授業中に寝てしまい起きた時にクラスメイトからの凄い視線を感じ、何かあったのか分からなかったので、友人に聞くと寝言で大きな声を発していたと言われました。友人に指摘された「目が左右に行ったり来たりする」「寝ている時に大声を出す」ことを母親に相談したが、「そんな事はない」と言われ、友人からの指摘と母親の僕に対する評価が違うことに不信感をいだきました。
その後も友人から指摘され続け、その都度両親に相談をして「病院に連れていって欲しい」と懇願しましたが、理解してもらえず、母親に対して嫌悪感を持ち母親と会話をすることも少なくなりました。
高校卒業後、就職先が他府県に決まり親元 (関東地方) から離れ寮生活 (中国地方) が始まりました。
数ヶ月が経ち寮生活に慣れ始めた頃、他の人から自分の陰口を言われていることに気づき、陰口を言った人に確認を取ろうとしましたが無視され、不快感を抱く日々が続きました。注意してきいているとその内容は「アイツ独り言を発して、可笑しいよね」「死ね・クソも言っていた」「怖いな」などの内容でした。自分がこの様な発言をしていたことに初めて気づきました。
〈施術開始〉
それまでに指摘されていた「目が左右に動く」「大声を出す」「独り言」が気になりネットで調べていくと、チック症・トゥレット症にある運動チック・音声チック(汚言症)に似ていることがわかりました。母親に相談しようか悩みましたが連絡もほとんどしていなかったため、できませんでした。
このままでは周りの人たちに「不快な思い」をさせてしまうと考え「症状を治したい」と思い、チック症の施術を行っている大阪の鍼灸院に通院することを決意しました。
勤務先のお盆休みを利用して2週間ほど大阪に滞在し鍼灸施術に取り組みました。
施術を受けた翌日は気持ちが楽になったこともあり、症状も落ち着いていましたが時間が経てばすぐに戻ることがありました。
施術効果として症状が落ち着く日と症状が出る日が出たため「施術を継続して受けるように」と当時通っていた鍼灸院から助言されました。が母親に相談も出来なかったため自分の貯金を切り崩して施術を受けていたので、金銭的にも、継続して施術をすることが困難となり、治療を中断せざるを得なくなりました。
施術と並行して同じチック症・トゥレット症で悩む人達がどの位いるのかを調べていきました。その中で当事者や家族の人達が症状について掲載しているLINEアプリのオープンチャットを知り、自分自身と症状がよく似ている方も多く、同じ境遇を持った人達に対して親近感を感じました。
今まで「自分だけがおかしい」と周りの人達に理解してもらえず一人で悩み抱え込んできた中で、このオープンチャットでは症状に対して理解もあり、初めて「自分だけじゃない」と思えることが出来ました。
母親との疎遠が続く中、オープンチャットのおかげで気持ちが楽になり、これからもオープンチャットを利用しようと思いました。
2年間勤めた会社を退職することになり、大阪で一人暮らしをすることにしました。
新たに仕事を探して土木系の仕事に就きましたが、出張が多く職場の人と同じ部屋で寝ることもあり、自分の空間がないことに凄くストレスを感じ症状も悪化したため、勤めてから1年弱で退職することになりました。その後は新聞配達の仕事に就きました。
大阪の鍼灸院に通っていた時に担当してくれた長岡先生が独立(開業)をされたことをホームーページで知り、相談をしました。親身に話を聞いていただき再度施術を決意しました。
〈令和5年2月当院で施術開始。〉
新聞配達の仕事はバイクでの移動が殆どだったため、他の人と関わることが少なく、対人関係に対する負担は減ったが、配達中に酔っ払いの人で気分が高揚している人達とすれ違うと動悸や不安感に襲われることもありました。
また普段の生活では少しずつ人を避けるようになり、外食や買い物も行かなくなっていました。
深夜から明け方の仕事は慣れない生活スタイルのため、寝不足が続くとチック症状は強く、人に対して過敏に反応してしまい動悸や不安感が増えました。人の多い日中には外に出ることもなくなり、鍼灸院でも他の患者様がいるときは動悸や不安感に襲われることもありました。
この現状を相談すると、他の患者様から離れた部屋での施術と予約の多い時間帯は避けるようにしてもらいました。
寝不足や慣れない生活スタイルが症状悪化に繋がってしまう事と、人を避けるのに慣れてしまう事が不安でした。
再度仕事を変えようかと悩んでいましたが「昼間の仕事は人も多く、話すのが苦手な僕には今の状態で人と話しながら仕事をするのは不可能だ」と思いました。
長岡先生に仕事について相談すると「現状で出来ること出来ないことを考えて、自分に今何が必要なのか」「どこを目指すのか」と助言してもらい、社会に出て一人で自立できるようにと考えました。
「人と話せるようになる」「人が多い場所にいけるようになる」と目標を決め施術を続け、2か月後の令和5年4月には施術の効果が出て精神面での変化が現れ、人と話すことも少しずつ出来るようになりました。
以前は信号待ちの際に、前後左右に人がいた時は動悸や不安感に襲われていましたが、徐々にその症状も軽減され少しずつ他の人の視線も気にすることも減ってきました。
寝不足や昼夜逆転で症状の悪化に繋がっていましたが、施術の効果によりそれも無くなり安定する日が増えました。
5月には新聞配達の仕事を辞め昼間の配送業の仕事に就くことが出来ました。今まで週2回1日5時間の施術を受けていましたが、生活スタイルが変わったため、就業後に週2回1日3時間の施術にかえ現在も続けて通院しています。
施術を継続していく中で、初めて職場の人に自分の症状「目を見て話せない」「音声チックがある」ことを伝え理解してもらい、より気持ちが落ち着けるようになれました。
人混みの多い場所では口元にタオルを当て症状をコントロールするように対策を取りました。
7月上旬、職場の上司に「目を見て話せて落ちついている」と言われ、施術をしてきた効果がより感じられるようになりました。
8月上旬にはスーパーに食材を買いに行けました。今までコンビニや出前サービスなどで食料を購入していたが、症状のコントロールが少しずつできるようになり人の多いスーパーでの買い物が出来るようになりました。
少しずつ周りの視線を気にせず、出来ることが増えているため、施術の成果を感じています。今後も施術を継続して症状の改善をして行きたいと思います。
母親との間でも少しずつ連絡を取れるようにもなりましたが、直接会って話をすることは今も難しいです。でも、いつか必ず母親と話が出来るように、と思います。
ご参考に施術を受けられた時間数を記載します。
令和5年2月から当院での施術時間数です。
令和5年
2月29時間
3月25時間
4月14時間
5月20時間
6月14時間
7月27時間
8月24時間
9月15時間 9月17日現在